米沢らーめん

米沢らーめんのうまさの秘密は水分をたっぷり含んだ麺。専門用語で「多加水」と呼ばれる製法で、小麦粉を捏ねるときに通常より多くの水を加え軟らかく練り上げます。

そしてストレートに切り出した麺に「手揉み」をかけ、そのまま2~3日熟成させると、独特の食感を持つ手揉み縮れ細麺の「米沢らーめん」の麺が出来上がります。

「米沢らーめん」の麺ならではの原料粉配合と着色料無添加により、少し黒みを帯びることもあり「米沢の黒中華」として全国でも珍しい麺のひとつに数えられています。

現在、山形県米沢市内では「米沢らーめん」を掲げる約100軒の食堂がその独特の麺を使い、それぞれに鶏ガラと煮干しをベースとしたスープを作りその店ならではの味を作り出しています。

米沢らーめんの歴史

関東大震災で帝都東京が大混乱になったのが1923年(大正12年)。

その数年前、米沢の夜の町をチャルメラを吹きながらラーメンの屋台を引く3、4人の中国人がいました。当時ラーメンは「支那そば」と呼ばれ横浜の中国人街から各地に普及していきました。

そしてもちろん米沢でも人気となり、彼らはまもなく米沢で店を構えるまでになりました。そして同じ頃、米沢市門東町にあったカフェ-『舞鶴』でも調理人常松恒夫(つねまつみちお)が支那そばの販売を始めました。

彼は東京築地の政義軒で修行を積み、和洋食のほか中華料理もこなす腕利きの職人で米沢における最初の日本人ラーメン職人となりました。

ちぢれ麺誕生秘話

米沢らーめんの特徴のひとつである縮れ麺は、カフェ-『舞鶴』の調理人常松恒夫(通称常さん)の発案により生まれました。

当時、米沢のラーメン職人たちは「特長のある美味しいラーメンをつくりたい」と考え、日夜試行錯誤を繰り返していました。ある時、そのうちの一人であった常さんが奥さんの大事にしていた織物(機織物)をうっかりしわくちゃにしてしまうという事件が起こりました。

このことを知れば奥さんはガッカリし、そしてすぐにおっかない表情に変わるに違いないと思い「悪いことをしてしまった」と反省。常さんは少しうなだれ気味にその織物に顔をうずめたのでした。

すると・・・

そのしわくちゃな感触がなんと柔らかく気持ちのいいことか。

そこで常さんは「この感触がラーメンになったら特徴のあるラーメンができるのでは」と思い早速その場でラーメンを手で揉みしわくちゃにしました。

そうしてできあがったラーメンこそが現在の米沢らーめんの縮れ麺の元となっています。

あっさりスープの秘密

あっさりした後味のよいスープ。これも米沢らーめんの特長のひとつ。

なぜ米沢らーめんはあっさり味なのか?これには諸説ありますが、最も有力なものがこちら。

中国人がもたらし、カフェ-『舞鶴』の調理人常さんが発展させたラーメンは昭和9年頃になると爆発的な勢いで米沢中に広がり、メニューにラーメンのない店は1軒もなくなるほど拡大しました。

そのおかげで米沢では「ラーメンがなければ夜も日も明けぬ」と言う方もいるほどラーメン好きが増えました。ただ「いくらラーメン好きとはいっても毎日こってりとした昧では飽きてしまうのではないだろうか」と考えたラーメン職人たちは「毎日でも飽きずに食べてもらえる昧にはできないだろうか?」と考え始めました。

そしてそれは「あっさりして後味のよいスープしかない」という結論に達し、現在のようなスープになったと言われています。

こうした日々の研究の積み重ねが現在の米沢らーめんをつくりあげ、そしてその研究心は現在も受け継がれています。

(米沢麺業組合HPより一部抜粋)